愛知県春日井市にある創業130年余の金物屋 岡田商店です。電動工具、刃物、鍵、包丁、大工道具、電動工具や日曜大工のことまで何でもご相談ください!

こんにちは岡田商店です 岡田商店の歴史

岡田商店128年6代の歴史

初代 岡田 佐兵衛

明治15年(1882年 ちなみに上野動物園開園の年)頃、岡田佐兵衛(さひょうえ)がなど家庭用品を中心とした岡田金物店を創業する。
その当時は、近隣のお客様より重宝されていた。(近隣といってもその当時は商店など無く、現在の倍以上の商圏であったと思われる)岡田商店の歴史の始まりです。


2代目 岡田 元次郎

この頃から当店は近隣のお客様より初代店主名の「佐兵衛さん」がなまり、「さひょさ」と愛着を持って呼ばれるようになりました。そのため、元次郎は通称名を2代目「佐兵衛」を名乗るようになった。


3代目 岡田 市太郎

当時は福井県武生市(現 越前市)での注文製作の打刃物は、かなり好評であったようである。車の無い時代に、20kmほど離れたところからの来客もあったようです。特に鎌は、稲刈りの時期には1日に1,000本位売れたそうです。


4代目 岡田 一男

戦火も激しくなり、4代目 一男は出征し、レイテ島にて戦死してしまった。
終戦直後、跡継ぎのいなくなった岡田金物店は、3代目市太郎が引き続き営業を続け、毎日のように名古屋市内へ大八車を引いて仕入れに行ったそうである。
その後、孫である祥子が成人前に自動車免許を取り、トラックに乗り始めたのは必然的であったのかもしれない。昭和33年(1958年)頃には問屋が車を持ってない時代だったのに女性がトラックを運転していることは、ほとんど稀なことであった。


5代目 岡田 博

岡田博が経営陣に加わる。
昭和34年9月の伊勢湾台風のときには、金物店にとっても壮絶なものであったらしい。
台風の前日には店内のトタン板、釘などほとんど売れてしまった。
店舗前の道路は強雨風に飛ばされたトタン板や看板などが、川が流れるように飛んでいったという。木造の店舗は木製の雨戸で閉ざされ、金物店には木材が無いので、売り物の農具の柄などで釘打ち補強されたほどであった。台風一過の翌朝は、夜明け前から来店客が店頭に並んだ。一苦労して釘打ち補強された扉を開け、開店しても店には売る商品がほとんど無く、折れた釘、錆びた釘、錆びたバールまで無くなってしまったらしい。早朝よりスタッフは数件の問屋を仕入れに回わり、何往復もトラックを満載にしたちなみに当時の500kg積ダットサントラックは、今の軽トラよりも力が無かったらしい。ブルーシートなど無い時代で、なんでもトタンの時代であった。問屋にもトタンは無くなり、継ぎ目のある再生品のトタンが飛ぶように売れたらしい。
昭和37年4月4日 株式会社岡田商店として法人化 資本金140万円、代表取締役 岡田 博となる。


6代目 岡田克己

平成21年9月より代表取締役となり職人の職人よる職人の為の店をコンセプトに現在に至る。


岡田商店は”職人の職人による職人の為のお店”です

お店のコンセプトまず自らが職人足るべし  目指せ! 国民総職人!! 

岡田商店が考える職人の定義

大工・左官・飾り職・植木屋のように、身につけた技術によって物を作り出したりする職業の人。
三省堂提供「大辞林 第二版」より職人(しょくにん、英語:craftsman)とは、自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のことである。中略現在では、手工芸品(特に伝統的工芸品)を作る人や大工・左官・庭師、手工芸品以外の例外的なものとしては食品を扱う「寿司職人」、また、特に優れた金属加工技術を有する人を職人と呼ぶ。
当店が考える「職人」の定義は生業としていなくても「しょくにん」の「しょく」とは「職」だけでなく、いろんな漢字があてはめられます。「食」「色」「植」「織」「触」「拭」「飾」・・・それら全てに関係することにおいて、なんらのつくり手の”うんちく”を持ち、可能な限り自分自身の手で、ものを作り上げる人。と考えます。

生業としている人は、いわゆる「職人気質」を持つ人。
いったん引き受けた仕事は利益を度外視してでも技術を尽くして仕上げ金銭や時間的制約などのために自分の意志を曲げたり妥協したりすることを嫌い、納得いくまで仕事だけをする。自信を持ち、自分の技術を探求しつづける。

岡田の考える職人とは、いわゆる、いぶかしげなしかめっ面の職人にはあらず妥協を許さず、頑固では有るが、偏屈にあらず。自分の仕事に自信と誇りを持ちつつも、常に学ぶ姿勢を持ちつづけ周囲の期待に応えられる為にはどうすればよいかを常に考えて行動する人。
周囲の人が笑顔でいられるよう常に笑顔を欠かさない。